何のために仕事をしているのか?
最近は労働者の権利を守る法整備が進んでいる。
望ましいことである。
しかし、その権利に胡坐をかき過ぎて、
主体性が低い社員が多くの会社で増えていることも否定できない事実である。
「何のために仕事をしているのか?」
この問いに社員は何と答えるだろうか?
「生活のため」「家族のため」「欲しいものを手に入れるため」
「なりたい自分になるため」……いろいろな理由があるだろう。
人生100年時代、ともなると人生で仕事をする時間は長くなる。
つまり仕事と人生の関係はより密接になり、切れないものとなる。
会社には「経営理念」「ビジョン」「ミッション」がある。
言わば、「何のために会社があるのか?」である。
何に経営資源を注ぐのか、どのような商品を通して社会に貢献していくのか?である。
物事の優先劣後を決めたりする経営の大きな判断基準となる。
この基準があるから、会社は意思決定を重ねながら成長できる。
であるから、理念やビジョン、ミッションがない、
もしくは浸透されていない会社は成長が鈍化する。
そう考えると、理念の類は会社だけが決めるものではない。
個人でも必要なことである。
つまり「何のために仕事をしているのか?」この問いへの答えである。
社員が、「所詮、自分は雇われの身でしかない」という意識で固まってしまうと、
創造性と挑戦性が乏しくなり、指示待ちのスタンスに陥ってしまう。
それでは「やりがい」はなくなり、
「働き甲斐」を見いだせなくなり、仕事と「生きがい」が離散してしまう。
ちなみに、やりがいとは達成感、働き甲斐とは社会貢献、
生きがいとは存在意義と考えると分かりやすい。

自分の人生の経営者である自分
人生100年時代、ということであれば、
仕事と付き合う時間は人生の1/2、50年、となろう。
その大切な時間に、やりがい、働き甲斐、生きがいを見い出せず、
面白味もなく、ネガティブなモードで仕事をしている。
その状態は組織としても生産性が高いとは言えず、
会社も社員もお互いに不幸な状態と言わざるを得ない。
社員や家族の人生を豊かにする
という使命は会社のみが実践するものではない。
1人ひとりの人生、その主体は社員である。
であるから、社員自身が「何のために仕事をしているのか?」
つまり、自分の人生の「経営理念」「ビジョン」を掲げなければ、
社員の人生が望ましいものになるとは言えないし、
組織と個人のシナジー効果が高まることもない。
つくり方は会社の場合と同じである。
- 人生の「経営理念」や「ビジョン」を決める
- 変化を理解し、どのような変化対応が必要か決める
- 長期、中期、短期で目標を決める
- 挑戦することを決める(失敗も成長)
- 時間の使い方と優先順位を決める
- 自分に対してリーダーシップを発揮する
- 自己理解と他者理解(相互理解)を深める
これらは、組織でも個人でも「経営者」がやるべきことである。
今年もあと、残りわずか。
その時間で「自分の人生の経営者である自分」との対話を実践して欲しいと願う。
会社は社員の労働環境等、責任を持って整備するべきだが、
社員の人生設計には誰が責任を持つのか。
これは自分の人生の経営者である自分である。


